輸入中古車400勝

中古車ジャーナリストの雑文一式。

ローファイのすゝめ

※2012年5月21日執筆

 

カリスマ中年無職の名をほしいままにしている自分ゆえ、本日もやることがない。仕方ないので、無駄に切り落とされる人間の髪の毛というものをマネタイズする方法について長考した後、楽器屋へと赴いた。「RC Booster」なるエフェクター(※ギターに効果音をもたらす機器)を買い求めるためである。

拙サイトはあくまでも「自動車関連」であるゆえ音楽機器に関する話は最小限にとどめるが、昨今のエフェクター事情を見るに気づくことあり。それは、全般的な「ローファイ志向」である。


拙が学徒だった時分は、ディレイ(※エコーマシンのようなもの)といえば「デジタルディレイ」が全盛であった。それは、とってもキラキラとした、輪郭のハッキリとしたエコー効果をもたらす機器である。拙もそれが欲しかったが、あいにく金がなかった。それゆえ兄のおさがりである前時代的な「アナログディレイ」なるものを使用した。これはディジタルのそれと違いかなり曇った感じの音色で、音の輪郭も曖昧である。キラキラとしたデジタルディレイでU2かなんかをキラキラ弾いて婦女子にモテてる学友らを横目に、自分は貧乏長屋に生まれた出自を呪った。

その後10年ほど自分はギター演奏から完全に離れたのだが、ここ数年は再び演奏をするようになった。もはや中年であるゆえ、いかな無職であっても小型のデジタルディレイを買う程度の金子は持っている。自分は意気揚々デジタルディレイを購入し、意気揚々と世間に見せびらかしに行った。

が、そこはいつしか「アナログディレイ」全盛の世に変わっていた。アナログ特有のやや曇った音が、今や「温かみがある」とか「土っぽくてオシャレ」とかなんとかでもてはやされているらしいのだ。なんと、自分がギター演奏から離れている間に世間は1回転してしまった。知らなかった。

しかし、本件に関連する「兆候」は、確かにあった。ヒマにあかせて世間のあれこれを見ているうちに、とにかくすべての事象が「ローファイ志向」に変わっていることを気づいてはいたのだ。

Lo-Fiとは音楽用語で、大昔は単に「音質や録音環境の悪い音楽」という意味であったが、80年代以降は「豪華でHi-Fiな音って逆にダサいじゃん」という機運が若衆の間で生まれ、「あえてのちょっとしょぼい音」こそがカッコいい、という考えが浸透していった。


で、2012年。今や音楽関連に限らず、衆生から人気を得ているさまざまの品は、そのすべてがおおむねローファイ志向である。そしてハイファイ志向は基本的にダサいとされている。

アイフォーンなどで写真を共有する『Instagram』もそうだ。Instagramで共有される画像はそもそも画角が正方形で、これは往年の「中判カメラ」の一部を模したものである。ご存じの方には今さらな話だが、そこに用意されている17種類の画像加工用フィルターも、すべてがクッキリハッキリのHi-Fi方向ではなく、あえてちょっと古びた写真のようなタッチになるものばかり。なかにはその名もズバリの『Lo-fi』というフィルターや、昭和の古い家族写真のようになる「1977」というのもある。

スニーカーもそうだ。ある時期世界を席巻した「ハイテクスニーカー」も、今や履いているのは田舎の中学生かマリオ二等兵ぐらいのもの。心ある者は皆「ズック靴はローテクであればあるほどおしゃれ」と心得ている。

この手のことを挙げていけばきりがない。ジーパン然り、髪型然り、住宅デザイン然り。無論、現在隆盛の「ローファイ」とは『計算されたローファイ』であり、その内実を下支えしているのは現代の高度科学ではあるのだろう。また、「なぜ、現代の者らがローファイを指向するのか?」という根本問題については、拙ではなく、世間の立派な学士様・修士様らにお尋ねいただきたい。

拙が問題としたいのは、「ではなぜ、クルマ業界ばかりがいまだハイファイ/ハイテク志向で、キラキラとダサく輝くものばかり作っているのか?」ということだ。

昨今の若衆の自動車離れについて拙はあいにく大した見識も意見も持たぬが、少なくとも言えるのは「俺がいま20代前半ぐらいの若衆だったら、今のクルマはたぶん買わんだろう」ということだ。

今さらイメージするのは難しいが、拙がもしもいま24歳ぐらいであったなら、ちょっとEarthyな色味の綿素材シャツなどをざくっと羽織ったうえでハーブティーかなんかを飲み、多少の麻薬はやるかもしれぬが煙草は吸わず、酒量はほどほどで隠れ家ダイニングみたいなとこでメガネ女子と語らい、電車あるいは自転車にて帰宅する。で、こじゃれたアジアン風な部屋の中で雑誌『クウネル』かなんかを読む。おそらくは、そうだろう。よく知らんが。

そんな生活と嗜好のどこに、「キラキラとしたデザインのハイテク日本車」が入り込む余地があるだろうか。そんなものを後生大事に洗車してた日には、近隣住民に笑われてしまいそうだ。

問題は日本車のみにあるのではない。拙がいま24歳だとして、新型カローラもジュークも要らぬが、最新型のポルシェ911だって要らぬ。ふぇらーり458すらも、タダであげると言われても遠慮いたす。くれるならもっとこうローファイ心が歓ぶ、Instagramみたいな何かをいただきたいのだ。あるいは、ハイテクの塊でありながらなぜかそれを一切感じさせないアイフォーンみたいな何か、と言うべきだろうか。

長期的な展望を描けるほどの脳髄をあいにく持ち合わせていないため短期のことしか言えぬが、自動車の新規製造および販売促進において肝要なポイントは、短期的には「ハイファイ志向との決別」しかないと愚考している。

無論、それは前述のとおり「計算されたローファイ」でしかなく、その実質はウルトラハイテクによって実現されるのだろう。しかし、「キラキラしてる=かっこいい!」という、まるで初めて火を見た古代人のような感性からとっとと離れ、自動車マニュファクチャラーは「ローファイ心と最新自動車工学との絶妙な融合」こそを目指さねばならぬと、永福町の住宅街から指摘しておきたい。

だがしかし。これらのことは正直、いち叩き上げ下士官にすぎぬ自分の手には余るビッグすぎる問題である。っていうか、そもそも意見を求められてもいない。

ゆえに、自分が今できること、そして人様に正味のところでアドバイスできることがあるとすれば、それは「ま、新車製造の問題はさておき、わたしらの周りには『リアルにローファイ』な輸入中古車ってものが山ほどあるんだから、それ買うといいんじゃないすか? 楽しいし、土っぽいし、洒落てますよ。大して壊れもしないしね」と、永福町の住宅街にてブツブツ言うのみである。