輸入中古車400勝

中古車ジャーナリストの雑文一式。

続・中古車のいいところ

※2012年3月16日執筆

 

右翼もかくやというコスチュームをまとっている自分だが、拙ブログをお読みいただいている方なら先刻ご承知のとおり、自分はいわゆる右翼的な政治信条などはこれを持ち合わせていない。4月以降、自分は新規の雑誌連載やインディーズDVDの制作などで人前に姿をさらす機会が少々増える見通しのため、誤解を避ける意味で若干モード寄りの装束に改めることとした。そして本日、中野ブロードウェイの某店にて購入してきた新コスチュームが以下写真のものである。


無論、カリスマ中年無職の買ったものゆえ、さして高額ではない。っていうかむしろ低額だ。フランス軍空挺部隊のベレー帽が3800円、イタリア軍の迷彩メッシュスカーフは3600円。英国軍の防水ハーフコートのみ若干値が張るが、張るといったってせいぜい9800円である。茶色のブーツは1年ほど前、吉祥寺のテキトーな靴屋さんでテキトーに買った1万円ぐらいのもの。これに、自前のテキトーな荷仕事用トゥラウザーズを合わせるという激安コーディネートである。

ここまでを読んで、ストイックかつストリクトな軍装マニア諸君は言うかもしれない。「国、バラバラやんけ!」「ていうかそもそもブーツとズボンは軍モノですらないし!」。その指摘はいちいちもっともだが、わたしは一切気にせず、こう答えるだけだ。「ま、いいじゃないですか(笑)」と。

自分は「安いこと」のすべてを肯定するものではないが、しかし同時に、「安さは自由につながる」ということも知っている。「自由」という単語がやや観念的にすぎる場合は、そこを「身軽さ」と言い換えても良いだろう。

どういうことかと言えば、自分にとって相対的に高額すぎるものを所有すると、人はどうしたって「守りの姿勢」に入る。そのモノを失ってはいけない、キズを付けてはいけない、盗まれてはならない、価値を毀損する何かがあってはならない、常に人から「やぁ、いいモノをお持ちですなぁ!」と称賛されねばならない……と、「ねばならないづくし」の精神状態となる。ストイックかつストリクトな軍装趣味というのも、ある意味それの変形バージョンである。

しかし、さほどの高額ではない、なんならエニタイム処分したり買い替えたりしても問題ないレベルのものであれば、人は「割となんでもあり」の精神で身軽に気楽にそれと付き合うことができる。今回の装束でいえば「国バラバラだけど、まとまってりゃそれでいっか!」と、前例や慣習にとらわれず、己の自由な感覚だけで楽しく選ぶことができた。

クルマに関しても、分不相応なアルピナB3Sに乗っていた頃は「洗車せねばならない!」「キズを付けては絶対いけない!」「周囲の人から尊敬されねばわざわざ買った意味がない!」「距離を伸ばしてリセールバリューを下げてはいけない!」などの“いけないづくし”で、自分は完全にアルピナに振り回されていたと、今にして思う。

しかし現在、「クルマは100万円そこそこの中古ガイシャが(俺にとっては)最適!」と達観して以降は、“ねばならないスパイラル”から完全に脱却することができた。今自分が自分のクルマに対して思っていることは、素で肯定的なことばかりである。

「SLK、エンジンはちょっとイマイチだけど、色とオープンにできることはサイコーなんでオッケーオッケー!」
「GTV、燃費極悪だけど、エンジン気持ちイイんだから仕方ないよね! あんまり乗らなきゃいいだけだからオッケーオッケー!」

残念ながら、人はどうしたって「見返り」を求めてしまう生き物だ。高額の持ち金を投入したクルマからは、それ相応かそれ以上の何かが自分に返ってくることを、無意識に希求する。そしてそれが返って来ぬ場合、勝手に落胆する。「無償の愛」が崇められるのは、それが実際にはなかなか実現しない、レアアースのようにレアなものだからである。

しかし「安いもの」であれば、そもそも大した金額を投じていないので、人はそこに過剰な「見返り」を期待しない。でも、伊達心眼流などを駆使してちゃんと選びさえすれば、「安いもの」でも期待以上の働きはたいていするので、「オマエ、あんまり期待してなかったけど実は結構すごいなぁ!」と大喜びすることができる。これが、わたし個人にとっての『割とシアワセな気持ちで日々を送るコツ』だ。「等身大で生きる」「無駄にいきがらない」というカギカッコ2つだけでも済んだ話だが。

無論、世の中には『安物買いの銭失い』という言葉もあるので、わたしの言うことすべてを真に受けるのは危険だ。しかし中古車のいいところの一つというか、中古車が人をシアワセするメカニズムとは、おおむね以上のとおりである。