輸入中古車400勝

中古車ジャーナリストの雑文一式。

純正カーナビの功罪

※2012年2月2日執筆

 

自分が今、個人的に乗っているクルマは13年前のイタリア車と14年前のドイツ車なので当然、「純正ナビ」などというものは付いていない。加えて、車内にあれやこれやのアクセサリーが付いていたり、その配線が見えたりすると失神昏倒してしまう持病をもっており、運転上とても危険であるため、サードパーティ製のカーナビも付けていない。知らぬ道を行く場合は手元のアイフォーンでルート確認するのみである。

しかしたまにブランニューな輸入車に乗るとたいていのモデルに2DINサイズの純正ナビが装着されているわけで、そのあまりの便利さに軽く失神しそうになることは、いちおう内緒にしている。

しかし純正カーナビゲーションシステムのありがたさに気を失いかけながらも、常々思う。「……内装のデザイン、台無しだよね」と。


海外自動車メーカーのデザイナーさんらがどのような感じでデザイン作業をしてらっしゃるのか、自分はまったく知らぬ。しかしここまでカーナビという物が普及している世の中なのだから、内装のデザインスケッチの段階で既に、2DINカーナビの画面がパカッと見えてることを踏まえたうえでの全体デザインを考えているのだろうと推測する。

推測するがしかし、その画面にまさか「国府新宿」とか「平塚学園総合グラウンド」といった文字が躍ることまでは想定していないと思う。また、デザイン・ディレクションというのは本来的にはウルトラ細部にまで及ぶべきもので、例えばマップ上の色味までを含めて計算せぬことには、美しいトータルデザインっちゅうのは不可能なのである。だがもちろん、カーデザインの段階でそこまでやることは不可能だろう。

ということで畢竟、昨今のブランニューモデルの内装は残念ながら「ちぐはぐ」なのである。ちぐはぐというか、純正ナビ画面の(悪い意味での)存在感が強すぎ、結果として全体の美観を損ねているのである。

たかが小さなナビ画面と侮ってはいけない。

例えばホンダN BOXの広告ビジュアルは、今をときめく佐藤可士和先生が総合プロデュースしたことで知られる。白地のなかにスタイリッシュな黒いゴシック系欧文が大胆に踊り、そして計算しつくされたサイズ・場所にてN BOXのキリヌキ写真が置かれている。クルマ自体はともかく、あの広告ビジュアルはウルトラおしゃれである。しかしそのなかに、仮にほんの小さなサイズであったとしても「春の大売り出し低金利キャンペーン! 詳しくはお近くのHonda Carsまで!」などという文字が、ダサイ色とダサイ書体で載っていたとしたら、あのビジュアルすべてが「死ぬ」。デザインっちゅうのはそういうものなのだ。敬礼。

ということで何が言いたいかといえば、純正ナビとは失神するほど便利なものではあるが、道楽および洒脱として輸入車道を究めるうえでは諸刃の剣である、ということがまず第一点。そして第二に、純正ナビがない時代の輸入車、すなわち不肖わたしが乗っているような年式の輸入車は、「邪魔」な要素がないだけに総合デザイン完成度が高く、それゆえ数寄者として感じる満足度も高い、ということだ。

さらに言いたいことのエッセンスを煎じ詰めるならば、「輸入中古車の魅力とは、ただ安いとか安くないとか、そういったことだけではないのである」ということだ。それは「美意識の問題」でもあるのである。


……というエントリを今、自分はアルファGTVの車内にて、ソフトバンクの電波が届かぬ山中にて書いている。アイフォーンが使えないためここが何県のどこかよくわからず、平たく言うと完全に道に迷っているのだが、ともかく、ムクドリより少し大きな野鳥が鳴いている。あれは「アオゲラ」だらうか。いつになるかわからないが、もしも無事東京に戻ることができたなら、このエントリをアップするつもりだ。しかしもしも3日以上更新が滞るようなら、誰かわたしにサードパーティのカーナビを届けてほしい。届け先を説明できないのがもどかしいが。