輸入中古車400勝

中古車ジャーナリストの雑文一式。

アウディのほうから来た男

※2012年1月20日執筆

 

自分は恥ずかしながら紙の新聞を購読しているため、本日朝も自宅あばら屋玄関先のメイルボックスまでニューズペイパーを取りに入った。雪が降っていた。そして何やらアウディ正規ディーラーの折り込みチラシが入っていた。

 

自動車ジャーナリストの端くれとして当然、自分はいの一番に当該折り込みチラシを取り出し、眺めはじめた。すると刹那、後頭部を何者かに強打され悶絶昏倒。感触からするとバールのような物による打撃だろうか? いずれにせよ自分は失神し、以下は失神中に見た夢のようなものである。


自宅あばら家に一人のセールスマンがやってきた。

都会的というのだろうか、洗練されたキメキメの背広を着た男で、「アウディのほうから来ました」と言った。アウディ正規ディーラーがこのような個別訪問セールスを実施しているのかどうか知らぬし、「アウディのほうから」ということは、オーソライズされたアウディ販売店とは何の関係もないのかもしれぬ。しかしまぁ何でも良い、これはしょせん夢なのだから。

何の用向きか? と問うと、男は言った。

「ダテ様に最適なアウディをお持ちしました。いやそのブローシャーを、お持ちしました」

アウディに恨みはないが、同時に興味もないので、自分は男を追い返そうとも思った。しかし考えてみれば「自分の興味のあること」だけをやり続けた結果が、このあばら家生活である。ということは「興味のないこと」を己の人生に取り入れて初めて暮らし向きは上昇し、出世および巨富への道が開けるのかもしれない。

以上のことを0.1秒で計算した自分は、男に言った。「入りたまえ。話を聞こうじゃないか」

キメキメの背広男は、さまざまな最新アウディが載るブローシャーすなわちチラシをわたしに見せつつ、さまざまなことを言った。エッセンシャルな部分のみを抽出すると以下のようになる。

●キメキメなクルマとは本当に素晴らしいものである。そして、皆がそれを欲している。
●そしてキメキメな輸入車の代表的存在が、最新世代のアウディである。
●それは本当にカッコいいし、非常に優れたハードウェアでもある。
●それが証拠に、非常に売れている。
●だからあなたもそれを買うべきだ。買えば、人生が拓けること受け合いである。
●お金のことは心配するな。残価設定ローンとボーナス払いを併用すれば、キメキメのTTクーペ新車でも月々23,100円である。あなたのような猿でもそのくらいは払えるはずだ。


男は以上のようなことをわたしに対して述べた後、「さて、ご決断やいかに?」と問うてきた。ご決断も何も、自分にはアウディの新車を買う金などない。さらに言えば、自分は「超キメキメの存在」というものに対して「うん、キマッてるね!」とはまったく思わぬのだ。

……と、いうようなことを男に正確に説明するのも面倒だったため、自分は「はぁ……検討しマス」と薄らボンヤリとしたことを言うことで、お引き取り願おうと考えた。

しかし男は、キメキメ方面の訴求が通じないことがわかると、今度はハードウェア方面の話をガンガンに始めた。いわく、アウディTTのサスペンションジオメトリーはウンヌンで、キングピンオフセットがカンヌンで、と。

付き合いきれなくなった自分は、普段の口調に戻したうえで男に言った。

わたし「ユー! シャラップ!……話はわかった。キメキメ。無論、自分もそれを求めている。男として生まれたからには『伊達サンって今日もキマッてるね!』などと小声で噂されたいものだ。当たり前である。しかし先ほども言ったと思うが、自分は、キメキメなものがキメキメとは思わぬのだ」

「言ってる意味がわかりませんが」

わたし「簡単な話だ。中田英寿選手、いや、中田英寿氏を見たまえ。キメキメである。すべてが。アレをユーは格好良いと思うか?」

「まぁ確かに格好良いですが、一抹の滑稽さのようなものを感じぬではありません」

わたし「そこだよ、ワトソン君」

「ワトソンではありません」

わたし「どうせ夢なんだから、まぁいいじゃないか。エニウェイ。イタリー人男性の場合は、なぜか知らねどほとんどの場合、キメキメを目指したとしても滑稽感は生じない」

ワトソン「←勝手に『ワトソン』とかカギカッコの前に付けないでください。それはさておき、仮にゲーハーのおっさんであってもイタリー人の場合はそうかもしれませんね」

わたし「翻って日本人男性である。わたしたちは、よほどのことがない限り、キメキメを目指すと自動的に『滑稽さ』が伴ってしまうのだ」

「亜細亜の血がなせるわざでしょうか?」

わたし「そのあたりはわからぬ。しかし重要なポイントは、中田英寿氏という、それなりに格好も体格も良く、なによりも素晴らしい実績とオーラを備える人物でさえそうなのだ、という事実である」

「マークXの佐藤浩市部長も、カッコいいけど、ちょっと笑っちゃいますよね」

わたし「いいところに気づいたな、助清くん」

助清「誰ですかそれは。……だからカギカッコの前に変な名前付けるなってば」

わたし「かの佐藤部長でさえああなのだから、いわんや我々一般人においてをや、である」

助清「無視ですか。まぁいいや」

わたし「『本当にキマッてる物あるいは人』とは、キメキメ過ぎを目指さず、敢えて何らかの『隙』を設けている物あるいは人なのだ」

「合コンでも一番モテる女子は超美人ではなく、ちょっと隙のありそうな、微妙なレベルのコだといわれますね」

わたし「自分は合同コンパには疎いが、理論としてそれはよくわかる。そしてその『ちょっと隙のありそうなコ』の『隙』とは、おそらくは天然由来ではなく人工物である」

「ちゃんと考えてやってる、ということですね」

わたし「パーハップス。だからこそ我々も、無自覚に『新車のアウディかっこいいぜイエ~イ!』とか言っていては駄目なのだ。それでは全身ドルガバでキメキメにして成田空港を歩いている中田英寿氏である。いや、中田氏レベルになれるならばまだ良い。しかし大抵の場合は、そのはるか下のレベルで痛々しくうごめくのみである」

「ところで、何の話でしたっけ?」

わたし「ちょっと古い輸入中古車をお買いなさい、ということだよ」

「いきなり徳大寺巨匠風の語り口で何を?」

わたし「いやさぁ、キメキメ過ぎるのって恥ずかしいことはもうわかってくれたと思うし、隙の重要性もご理解いただけたと思うんだけど、やっぱキメたいじゃない? 男だもの。そんなとき、ちょっとデザインのいい古めの中古ガイシャに乗るのって、ちょうどいいと思うんだよねー。イカしてるんだけど、『しょせんは古くて安いクルマ』みたいな部分がいい塩梅の『隙』になって。で、それって結局、キメキメの新車にキメキメで乗るよりも、最終的にはよっぽどキマッてる生活だと僕ぁ思うんだ」

「……結局アンタ、お金ないからそう言ってるだけでしょ?」

わたし「いやそんなことはないよ! 僕ぁお金ウンヌンの話をしているつもりはない! そうではなく精神性およびセンス、あるいは積極的停滞とは何かという……」

「ユー・シャラップ! ……まぁ良い。あなたのような猿が買わずとも、新車のアウディは十分売れているのだ。そもそも君に売るアウディなど無い。では失敬」

そう一方的に言うと、男は「アウディのほう」に帰って行った。男が向かった先が正規ディーラーなのか、その方角にある何かなのか、わたしにはわからない。



※毎度申し上げますが「奇譚」と名のつくエントリはすべてフィクションで、実在の人物・団体とは一切関係ありません。