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中古車ジャーナリストの雑文一式。

軍曹、写真展「TSUNAMI」に行く

※2011年9月15日執筆

 

何事もつい「斜に構えた感じ」でやってしまうのはわたしの悪い癖で、ある種の中二病だと自覚はしている。今回のエントリも「東北のカッペが、はは、渋谷で写真展とか生意気にやってるらしいから、はは、嗤いに行くことにしよう」という感じの偽悪的導入から入ってみようかと、朝のうちは思っていた。でも、やめました。ど直球ストレートの素で書きますので、もしも面白くなかったらごめんなさい。


本日午前、渋谷のマークシティでやっている写真展〈東北復興支援写真展「TSUNAMI」〉を見に行った。これは、岩手県陸前高田市出身のフォトグラファー上田 聡さんが、「壊滅」した自分の故郷と、その復興の過程を震災5日後から撮りはじめた作品群を、「この光景を忘れないように」「災害に備えてほしい」「大切な人を守ってください」というメッセージを込めて展示しているプロジェクトだ。震災前から渡航を予定していたローマ、フィレンツェ、ミラノ、ペルージャなどでも展示を行った。なお上田さんは今回の津波でお母様を亡くしている。


渋谷マークシティウエスト4階の奥のほうにある渋谷区の施設『クリエーションスクエアしぶや』の、約5分の3ほどのスペースを使って開催されているこの写真展。入口より入ると、まずはすぐ左手に「在りし日の市内各所」の小さなスナップ写真が、1m×70cmほどのボードに50枚ほど貼られている。「北日本銀行 高田支店」「JR陸前高田駅」「ここが市の中心街でした」などのキャプションを添えて。

そこから足を進めると、“半切”ぐらいだろうか、大きくプリントされた上田さんの作品(たしか)40点ほどの展示が始まる。会場左から時計回りに進むと、被災直後のいわゆる「惨状」を表現した写真から始まり、進むにつれ「絶望」「救出」「ささやかな希望」「復興の兆し」「それでも在る悲しみ」「しかし続いていく、いや続くべき、生活」といったニュアンスで、一人のフォトグラファーが、自分が生まれ育った町が決定的に失われ、しかし復興していこうとする姿を、時系列で伝えていることがわかる。

どれもが胸に迫る写真であるが、写真的に特に目を引くのは、このプロジェクトの公式サイトでも使われている「津波ですべてが失われた夕暮れの町を、祭りの山車が行く」作品だと思われる。それもキャッチ―で(というフレーズがこの場合適切なのかどうかわからないが)良かった。しかしわたしが最も気になったのはそれではなく、「がれきの町を、素人がコンパクトカメラでパシャッと撮ったかのような1枚」だった。

我々素人が旅先などで撮りがちなのが、「とりあえず広角レンズで風景を押さえました」という体の、画面内のどこにもこれといった焦点がない写真。ある意味それによく似た曖昧な風景写真を、なぜプロが展示するのだろうか? 不思議に思ったわたしは、その写真の前で足を止め、近寄って見てみることにした。

すると気づいた。がれきの山々と倒壊したコンクリート建造物群の姿を、ただ遠目から撮っただけと思われたその写真の中に、何人かの人間が米粒のようなサイズで写っている。さらに近寄ってそれら人物を見てみると、「米粒」は自衛隊員だった。がれきの状態からして、おそらくは津波被害の発生からさほど長い時間は経っていない頃に撮影した一枚だと思われる。

作者の正確な意図はもちろんわたしにはわからないが、その写真を見て思い出したのは、ジョン・レノンとオノ・ヨーコが知り合うきっかけとなった、オノ・ヨーコ作の一つの現代芸術作品だった。あまりに有名な話なのでご存じの方も多いだろう。その小さな作品は天井に書かれていて、フロアからはそれが何なのかわからない。が、側にはハシゴが用意されており、ハシゴに上ると、天井付近にはさらに虫メガネがある。で、虫メガネを使って天井を見てみると、そこにはたったひと言、『YES』と書かれている――という作品だ。

そして上田さんの作品。遠目には何の意図があるのかよくわからない、「被害全景」とでもタイトルを付けるべき漠然とした風景。しかしそれは単なる風景ではなく、その中には、現場の只中には、奮闘する自衛隊員がいたのだという二重構造。さらに言えば、その漠然としたがれきの下は「単なる地面」ではなく、救出を待つ誰かがいて、あるいは、誰かにとっての大切な誰かの遺体が多数埋まっている地面なのだという、三重構造でもあるのだろう。


上記の解釈はわたしの勝手な解釈なので、実際のところはもちろんわからない。しかしいずれにせよ、とても素晴らしい写真群であり、そして入場無料なので(カンパの箱は置いてあります。支援金はAid TAKATAを通して全額、陸前高田市の復興のために役立てられます)、渋谷にご縁がある人はぜひお立ち寄りを。マークシティでの展示は9月19日(日)まで。時間は10時~18時。

「もう今さら悲しくてツラい写真とか見たくないよ」という人もいるだろう。その気持ちもわかるつもりだが、それでも――渋谷駅を通りかかる人なら、その気になれば10分で見られるので――ちょいと立ち寄ることをわたしはお勧めしたい。陳腐な言いぐさで恐縮だが、死を考えることとは、「いかに生きるか」を考えることと同義であるのだから。

生き残り、そして生きていくわたしたちには、それを考え続けるいくばくかの責任があると、不肖わたしは考えている。